12月作品キュレーションリスト

ある朝ぼくは
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なんだか先月は、朝の詩が多かったきがする。朝、ぼくらは目覚めて、世界に飛び出す。年末は夜明けみたいな感じなんだろうか。この作品はファミリーの朝。(なんとなく共同アパートとかの共同体としての家族の)なんのへんてつもない、いつもの朝。夜、ぼくらは夢を見て、空を鳥として架空の町を飛び、朝、ぼくらは世界に人としてもどる。それは、おはようということ、約15円のコーヒーや、おみそ汁やご飯のこと、仕事にいかなければならないこと、さまざまな欲望を意識すること、そして今日という日を始めること。まるでそれは昨晩の、あるいは現実の悪夢を、癒やそうとするかのような儀式。愛とぬくもりのことほぎ。


幸福な一日の終わり
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幸福の詩は少ない気がする。アンナカレニーナの始まりに「幸せな家族は似たりよったりだけど、不幸な家族はさまざまである」みたいな書き出しがある。たぶんそれは真理で、不幸なら様々な状況を描いてみせることができる。だけど幸福はそうはいかない。すぐに凡百になってしまう。霜田明さんはいつもそういうなんでもないようなことを詩にするのが得意な書き手だなって勝手に思ってる。詩的な心をもって生きてらっしゃるんだろうなあ。



奪われる
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>大切な話がある
>きみが隣に腰かけた時の
>膝のかたちが好きだ

ぜんぜん大切な話じゃない!座ったときの膝のかたちて!すごく個人的。でもすごく詩的。というか詩ってのはそういうところから生まれるのかもしれない。他の誰でもない自分が大切に思うこと。それはなかなか相手には分かってもらえないかもしれないことだけど、詩ってのはそういう伝えられないことを強いて伝えてみようとすること。かもしれない。



黄色くて丸いパン
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僕も祝儀敷さんの言ってることはなんとなくわかる。そういうひともいていいと思う。そして僕はこの作品がいかに優れているかみたいなことを説得できないだろうな。たとえばこれがふつーのひとに起こったことなら、ツイッターにも書かないレベルのことで、五分後には忘れ去られてしまうようなことだけど、ボルカさんはその感動を忘れなかった(本当にあったことかはわからないけど)そしてそれを切り取った。それだけのものだから、記述されてるストーリーそのものがこの作品のクオリティだと思う。僕は素敵な話だと思った。素敵なライティングだなって。





http://breview.main.jp/keijiban/?id=1136

神様と僕をイコールにさせようとする詩。僕僕僕の呪術的同語反復(今このターム作った)が巧く決まっていると思った。文法をリピートしてるからだと思う。



遠く、朝は
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夢から覚めるとき、僕らは夢の文法を、ぐねぐねして、ぐねぐねして、なんとか現実の文法にもどしていく、その時の感覚。抽象的で美しい詩。



意識
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これはパートナーが寝てるところの詩だろうか。たとえば愛が水性なら。こんな風に静かにあふれていくのかもしれない。



literal
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リテラルなものなんかは全然だめなんだ。そんなんじゃ全然伝わらない。俺の気持ちは!みたいなラブい詩。手紙でも伝わらないと思うけど、なんだかスッキリした完成度の高い感じ。